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京都丹波の偉大なる先人たちの足跡

2021.01.19

[明智光秀と丹波亀山城]
「時は今 あめが下しる 五月哉」歴史は亀岡から動いた。本能寺も変、光秀軍一万数千人が、本能寺に向けてこの城から出発しました。5月3日には亀岡光秀まつりが行われます。

[足利尊氏ゆかりの篠村八幡宮]
時代を切り開いた、勝利を呼び込む武将で、室町幕府を開く。勝負事ではあやかりたい歴史的人物の一人。「はちまんさん」の愛称で呼ばれる篠村八幡宮には尊氏の祈願文、旗立て場などが残っています。

[石田梅岩]
江戸時代、現在の亀岡市東別院町東掛の農家の次男として生まれた梅岩は、日常道徳のあり方を探求し「心学」を説きました。正直、勤勉、倹約、質素など「人の人たる道」の探究から始まり、独自の商人道を築き上げ、「石門心学の祖」と呼ばれました。偉大なる先人の教えは現在に脈々と引き継がれています。

[円山応挙と穴太寺、金剛寺]
現在の亀岡市曽我部町穴太に生まれた応挙は9歳の頃、金剛寺に入りましたが、絵に才を見出し、狩野派に弟子入りしました。後に写実を基本とした円山派を樹立しました。金剛寺には、応挙の作品が収蔵されており、毎年11月3日には特別公開しています。穴太寺は西国三十三所の札所として有名です。

[丹波康頼と医王谷]
平安時代の鍼博士・医博士であり、丹波家は和気家とともに代々宮医を務めていました。「穀物は身体を養い、果物は穀物の栄養を補う。肉類はその働きを高め、野菜はそれを増進する・・・」康頼によって著された日本最古の医術書「医心方」(国宝)に書かれた「医食同源」の言葉は、1200年の時間をこえた、21世紀の健康へのメッセージ。亀岡市下矢田町には、康頼が住み、薬草を育てたとの言い伝えがある「医王谷」などの地名が残っています。

[那須与一ゆかりの堂]
源平合戦「屋島の合戦」で、扇の的を射て、弓矢の名をあげた那須与一が祀られている堂。元は法楽寺というお寺で、与一が病気になった時、このお寺に祈願したところ、たちまち回復したと言われている。与一は後に仏門に入りこのお寺を再興したと伝えられています。「平家物語」でも登場します。

[医者の祖先を祀る丹波康頼ゆかりの金輪寺]
現在の亀岡市上矢田、下矢田町周辺とされる「矢田郡」かそれとも福知山市南天田町の「天田郡」とも言われ、その出生地は謎に包まれています。しかし、亀岡市内には康頼ゆかりの地が残っています。宮前町の神尾山頂近くにある金輪寺の五重塔もその一つで。康頼を供養したものと言われています。

[菅原道真ゆかりの小林天満宮]
昔この辺りを領していた小林という人が天神様をお祀りし、この地に京都の北野天満宮を進請したのが始まりと伝えられています。菅原道真公はよく都より園部に行き来していました。その途中でこの神社で休息したという腰掛岩があります。またの名を「休み天神」とも云われています。

[田中源太郎と楽々荘]
丹波と京都を結ぶ新しい交通手段として、難所・保津峡を抱える京都〜園部間に、京都鉄道を敷設した田中源太郎。その邸宅は、観光客や地元の方に愛されています。国の登録有形文化財に指定されています。

[源頼政と古世地蔵堂]
平安時代の武将、源頼政の守り本尊「矢の根地蔵」が祀られている古世地蔵堂。源頼政は、高倉天皇を悩ませた「鵺」を対峙し、その恩賞として矢田の圧を賜りました。その後、平家追悼の計画に失敗し、宇治で自刃。その首を祀ったと伝えられています。源政塚として、今もその地名が残ります。

[安行山晴明神社]
亀岡市中心の南西にある安行山は、西山とも呼ばれ、市街地を一望できる山頂には平和台公園があります。一帯は、かつて陰陽博士・安倍安行ゆかりの地とされ、山頂には、磐栄稲荷神社、その摂社の安行山晴明神社が祀られています。その安倍晴明安行とは安倍安行のことであるとも、安倍晴明であるともいわれています。

[内藤如安と八木城]
キリシタン武将の内藤如安ゆかりの城で、城山に顕彰碑が建っています。八木城は丹波守護代内藤氏の居城として伝えられ、15世紀〜16世紀に丹波地方の中心として機能しました。城は、明智光秀の丹波浸攻により没落しましたが、現在は、石垣の一部や曲輪跡が山頂部だけでなく屋根づたいや谷間にも残り、当時の雄大な様子を伝えています。

[野々村仁清]
江戸初期の陶工。丹波国桑田郡(現在の南丹市美山町)出身。金森宗和の指導を得て優雅な色絵陶や、仁清軸と称される茶器類を残す。寛永頃を中心に活躍し色絵陶器を完成し、京焼の祖とされる。特に、金銀を用いた名作で知られる。その生家には、食い違い間取り等北山形住宅の遺構が残されており、建物の上の山腹には、仁清の菩堤寺「蓮乗寺」の前身である光明寺跡もあり、子孫の清八・仁平らが眠っています。

[小麦山・天神山]
スーパーマリオシリーズやTVコマーシャルの音楽が話題となった「ピクミン」の舞台は、ゲームプロデュースの第一人者 宮本茂氏が幼い頃に遊んだ南丹市の園部高校近くの「小麦山」「天神山」らしいです。

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