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未来へつながる京都丹波のみち物語

2021.01.20

律令時代に定められた五畿七道のひとつに「山陰道」があります。山陰道諸国(丹波、丹後、但馬など)の国府を結ぶために設置された官道で、現在の国道9号船が、山陰道をほぼ継承しています。そして現在では、京都縦貫自動車道が京都と日本海側をつなぎます。

[明智光秀が越えた丹波道]
天正10年6月2日、織田信長の家臣明智光秀が謀反をおこし、京都本能寺を襲撃、主君信長を討った「本能寺の変」。明智光秀は、この時本能寺には老ノ坂を越えて進軍しました。その5日前の5月27日には、京都の愛石山に参詣し、5月28日に西坊威徳院で恋歌の会(歌会)が行われ、その時、光秀が詠んだ句が、有名な「ときは今 雨が下しる 五月哉」でした。戦国武将明智光秀は丹波で、善政をしいた名君主として領民に慕われています。現在明智越えは、展望も良いハイキングコースとしても人気があります。

[幻と消えた「摂丹鉄道」物語]
明治から大正時代にかけて、摂丹鉄道という、大阪と亀岡を結ぼうとした壮大な鉄道計画がありました。これは、大阪の現在の阪急電鉄と接続する能勢電鉄の終点・妙見から亀岡駅までを結ぶ「摂丹鉄道」敷設計画で、45人の発起人が、明治45年6月14日に連署出願し、大正2年1月10日には鉄道院の許可を得て事業着手されました。当時50万円という巨額の資本金で計画は進み、一部で軌道(線路)敷も築かれましたが、当時の亀岡では「風紀が乱れる」という理由で反対があり、結局事業途中で頓挫しました。現在でも湯の花温泉付近には、幻に終わった摂丹鉄道の軌道、線路の盛り土などの跡が残っています。もしも、この鉄道計画が実現していたら今頃、JR京都駅発、JR亀岡湯の花駅(仮想名)行きの電車が、運行されていたかもしれません。

[道の駅「京丹波 味夢の里」]
2015年にオープンした道の駅「京丹波 味夢の里」。昔、日本海と京を結ぶ道は、北前船が運んでくる他地域の海産物、物資、文化、情報などを京の都へもたらしました。今、丹後と京都を結ぶ京都縦貫自動車道の開通は、ヒト・モノ・カネの流れを変化させつつあります。道の駅では、京阪神方面や日本海方面からの往来で立ち寄る人に、ひとときの寛ぎ、休息を提供。京都丹波の観光情報、これから行く観光地情報、次回に備えての観光情報などの情報発信の場となっています。

京都丹波の花暦

[七谷川]
春になると人々が集う安らぎのせせらぎ

[大野ダム]
秋の紅葉に勝るとも劣らない、春の桜

[生身天満宮]
菅原道真ゆかりの生身天満宮の梅

[平の沢池]
京都府内有数の深鳥地で府内唯一のオニバス自生地でもある平の沢池。「水鳥のみち」として親しまれています。

[ききょうの里]
初夏には桔梗と紫陽花が咲き誇る「ききょう」の里。近くには明智光秀ゆかりの谷性寺もあります。

[亀岡夢コスモス園]
関西有数の規模を誇るコスモス園。約4.2haの面積に20品種約800万本のコスモスが風にそよぐ姿は圧巻。

[ひがんばなの里]
彼岸花の名所。見頃の時期になると彼岸花を目当てに多くの写真愛好家が集まります。

[美山雪灯廊]
京都丹波の冬を彩る光のファンタジー。約800基の灯籠が点灯し、夜のかやぶきの里を灯りで演出します。

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