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京都精華町あれこれ

2021.02.06

京都で和装ロケーションフォトウェディング専門店、京都ブライダルフォトワークスがおすすめする京都の人気観光スポット紹介。

狛田から祝園へ。古社などを訪ねる。
木津川沿いを歩く

木津川沿いの景観を眺めながら進み
精華の史跡を探訪する

木津川は大変な暴れ川で、江戸時代の約250年間でも多くの洪水被害が記録されている。下狛駅・狛田駅から東へ進むと、奈良の春日大社ゆかりの菱田と舟の春日神社を経て、木津川へ出る。その美しい流れと開けた景観を見ながら南へ進むと、祝園神社や常念寺など、由緒ある寺社や、「古事記」に伝承が残る史跡を訪ね歩くことができる。

[春日神社(菱田)]
菱田地区の氏神。奈良市にある、春日大社の若宮社殿を移したと伝わる本殿は重要文化財。拝殿の白馬と黒馬は、近世初期の絵馬として有名。

[春日神社(舟)]
狛田地域に三社ある、春日神社のひとつで、舟地区の氏神。社殿は昭和54(1979)年に再建されたもので、安永2(1773)年の絵馬が残る。例祭は毎年10月17日。

[木津川堤防からの眺望]
このあたりの木津川堤防は、奈良の若草山、生駒山、京都の比叡山など遠くの眺めが最高だ。もちろん精華町の里山や、古代に「狛山」と詠まれた対岸地域の山々など近くの景色もよい。嵐山〜木津間の自転車道をツーリングする人々にも出会う。

[祝園神社]
正月に行われる居籠祭は、京都府の無形民族文化財の指定を受けている。2日目に大松明を先頭に祭場へ向かう御田の儀、3日目に竹で邪鬼をかたどった網をひきあう綱曳(つなひき)の儀という神事が行われる。

[祝園の居籠祭]
「古事記」の伝承に由来し、奈良時代の起こりと伝えられる神事。毎年1月、祝園神社で行われる。大松明は、長さ3.6m、直径約60cm、重さは75kg以上におよぶ巨大なもの。神主らは、祭場のある「幸(こう)の森」まで向かい、一年間の五穀豊穣を祈る。

[武埴安彦破斬旧跡]
「古事記」や「日本書紀」によれば、武埴安彦は第8代孝元天皇の皇子である。崇神天皇に対する反乱で敗れ、この場所で斬首されたと伝えられている。

[常念寺]
寺の創建は不明。薬師堂の本尊の菩薩形立像は、精華町で最も古い仏像のひとつ。高さは約169cm、一木造で、頭から体部、両手首までを一材から掘り出している。

[郡山街道 道標]
江戸時代には、大和郡山藩、小泉藩の参勤交代の行列や伊勢参りの旅人などが従来していた道。道標には、「左 なら(奈良)、右 京(京都) よど(淀) 八 わた(八幡)」とある。

[木津川サイクリングロード]
飛鳥から京都嵐山でと続く、いにしえの都(飛鳥〜藤原京〜平城京〜恭仁京〜長岡京〜平安京)を巡る約90kmのサイクリングロード。自転車・歩行者専用道路となっている。

菅井から植田へ。美しい里をめぐる
河井寛次郎の足あと

郡山街道から清らかな水が湧く菅井へ
寛次郎ゆかりの寺や池を訪ねて

郡山街道は、伊勢参りの旅人や参勤交代の行列が通った道。畑ノ前遺跡は、弥生、古墳、奈良の3つの時代にわたる複合遺跡だ。古い歴史がある稲植神社、近松門左衛門ゆかりの来迎寺も興味深い。このコースのテーマになっている、河井寛次郎は、土と炎の詩人とも呼ばれた人。陶芸だけでなく多くの書や言葉を残した。釈迦の池谷蓮台寺にも通い、彼の日誌に残された足あとをたどり、散策したい。

[郡山街道]
江戸時代には、伊勢参りの旅人や奈良の大峯山参りの行者、行商人たちが従来していた。また、大和郡山藩や小泉藩の参勤交代の行列もこの道を使っていた。

[豊川稲荷]
田園風景の中に奉納された赤い鳥居が立ち並ぶ光景は、鮮やかな色彩がひときわ目を引く。社殿の手前には、牛頭天王神社御塚跡と彫られた石標がある。

[仇討地蔵]
諸国霊場を巡礼する行脚僧の六部と子どもが、仇を探してこの地に来た。その時、仇に会い、相打ちで三人とも息絶えたという。その霊をなぐさめるお地蔵さま。

[乗越堤]
木津川の流れが北へ大きく変わり、水害が絶えなかったこの地域にできた堤防。ほかの部分に比べ高さを低くし、水位がその高さを越えると水があふれ出る仕組み。

[天王神社]
菅井地区の氏神。江戸時代には若宮牛頭天王社と称した。境内入口には、菅井の井戸や明治時代の青年修養団体医である脩徳社の石碑がある。

[畑ノ前公園遺跡の杜]
南山城の代表的な遺跡のひとつ。奈良時代の豪族の館跡とみられ、7mの深さの巨大な井戸跡も発見。調査後、その一部が公園として保存されている。

[稲植神社]
南稲八妻・植田両地区の氏神。伝承によると、元祇園(京都八坂神社の元)と伝わるほど、古い歴史がある。

[釈迦の池]
植田地区の中にある池。河井寛次郎が足しげく通った精華町一帯のなかでも、お気に入りの場所であったことが日誌からうかがえる。

[来迎寺]
天平勝宝元年(749)、行基が開いたと伝わる。江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家の近松門左衛門が書いた「心中宵庚申」で有名な、お千代と半兵衛の墓がある。

[蓮台寺]
文禄2(1593)年、寺号を青蓮奄から蓮臺寺に変えたと伝わる。境内の薬師堂には町指定文化財の薬師如来立像が、本堂には四宮神社ゆかりの延命地蔵菩薩立像が安置されている。

[畑ノ前遺跡]
弥生。古墳、奈良の3時代にわたる複合遺跡。弥生時代の堅穴式住居跡、古墳時代後期の横穴式石室をもつ円墳7基、奈良時代の23棟分の堀立柱建造物群や井戸跡などが見つかっている。

[菅井の井戸]
昔、コンコンと清水が沸き、清々井戸と大切にされたが、時が経ち菅ノ井に名が転じたという説。もうひとつは、管原道真が京都に上る道すがら、清ノ井の水を愛飲したので、菅ノ井になったとも言われる。

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