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いざ京都!明智光秀

2021.02.20

京都の美しいロケーションを活かしたフォトウェディングと結婚前撮り専門店、京都ブライダルフォトワークスがおすすめする京都の人気観光スポット情報。

細川藤孝(幽斎)・忠興・ガラシャゆかりの地へ

明智光秀は、天正3年(1575)より織田信長の命を受け丹波攻略を開始し、盟友・細川藤孝(幽斎)とともに、4年の歳月をかけて丹波・丹後平定を成し遂げました。
この平定戦のなかで、光秀は丹波にいくつもの拠点を築いており、京都府域にはその足跡が多く残っています。
主君織田信長を「本能寺の変」で討った「謨反者」としてのイメージが強い明智光秀ですが、丹波地方では、善政を敷いた「名君」として今もなお慕われています。

長岡京市
川崎合戦 光秀最期の城
[勝龍寺城跡]
光秀の娘・玉(ガラシャ)が細川忠興に嫁いだ城で、山城合戦で敗北した光秀はこの城に逃げ込み、最後の夜を過ごしたと伝わる。現在は公園として整備されており、光秀が坂本城へ向けて脱出した枡形虎口の北門には当時の石垣が今も遺る。

大山崎町
天下分け目の天王山を仰ぎみる
[山崎合戦古戦場跡]
光秀と秀吉が戦った山崎合戦の舞台が、天王山のふもとに流れていた円明寺川(現在の小泉川)を挟んだこの辺りであったとされている。現在は、公園として整備されている。

亀岡市
丹波平定の拠点 いざ!本能寺へ
[丹波亀山城跡]
光秀が丹波平定の拠点として築城。「本能寺の変」の際、光秀はこの城から本能寺に向けて出陣している。現在は宗教法人大本の本部となっているが、「ギャラリーおほもと」の入館券購入で、内堀跡や本丸付近の石垣を見学することができる。

南丹市
丹波三大山城のひとつ
[八木城跡]
丹波守護代内藤氏の居城。黒井城、八上城と並ぶ大規模山城で丹波三大山城のひとつ。1579年に落城。石垣の一部や曲輪跡が残っており、見学しながら頂上の本丸跡まで登ることができる。八木城最後の城主といわれているキリシタン武将内藤ジョアンの顕彰碑がある。

京丹波町
明智家から寺にあてた古文書が残る
[玉雲寺]
光秀の丹波攻めにより寺の建物や宝物はほとんどが焼失したが、現代の境内・本堂・庫裏は光秀が禅氏の遺徳を尊崇し再興したもの。お寺には、光秀の位碑や明智家からの古文書が残っている。また、向かいの山には光秀が築いた石垣の残る須知城跡がある。

綾部市
京都の自然200選の1つ
[山家城址公園]
光秀による丹波攻めで落城した山家城に位置し、江戸時代にこの地区を治めた谷氏の陣屋跡。現在は公園として整備され、桜や梅、紅葉など四季折々の自然が美しい。

福知山市
明智光秀が築いた城 天守から城下を望む
[福知山城]
明治初めに石垣と一部の遺構を除いた大部分が取り壊されたが、1986年に市民の「瓦一枚運動」により天守閣が復元された。石垣は自然石を積み上げる野面積みで、五輪塔などの石造物が転用石として使われているのが特徴。

舞鶴市
細川幽斎が守り抜いた城
[田辺城跡]
細川藤孝(幽斎)が築いた城。復元された城門2階の資料館では、当時の様子を紹介している。

宮津市
光秀の首塚が残る
[盛林寺]
山崎の合戦で敗れた後、豊臣秀吉により本能寺に晒された光秀の首が娘である玉の元に届けられ供養されたものと伝えられている。

京丹後市
細川ガラシャ
[味土野]
細川ガラシャは本能寺の変の後、夫・忠興の命より、京丹後市弥栄町味土野の地に幽閉。2年余りを過ごしたとされる女城跡に、記念碑が残る。

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