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京都亀岡 明智光秀マップ

2021.02.22

京都での和装ロケーションフォトウェディング専門店、京都ブライダルフォトワークスがおすすめする京都の人気観光スポット紹介。

明智光秀ゆかりの地ドライブコース

戦国乱世の中、明智光秀は天正3年に織田信長から丹波へ進攻するよう命じられ、この丹波の地・亀山(亀岡)にやって来ました。光秀は「家中軍法」なるものを確立し、軍団の秩序と規律を明確にさせたり、治水工事や領民の税負担を軽減させたりしたことで、「名君」として慕われていました。そんな光秀が人生最期まで過ごし、自らの理想を描いたまちである亀岡のゆかりの地を巡り、往時に思いを馳せてみませんか?

初めてじっくり・・・光秀を巡る初心武者コース
①丹波亀山城跡
天正5年頃、丹波進攻の拠点とするために明智光秀が築城し、本能寺の変の際はこの地から出陣したとされている。明治10年には、廃城令により天守が解体されたが現在も石垣などの見学が可能。

②谷性寺(ききょうの里)
別名「光秀寺」とも言われており、明智光秀の供養のため、祀られた首塚がある。丹波亀山城下町にあった門も移されている。毎年6〜7月には、明智の家紋である桔梗が咲き乱れる「ききょうの里」が門前で開園する。

③亀岡市文化資料館
亀岡に残る縄文時代から現代にかけての歴史・文化に加え、これまでの亀岡のあゆみについて、資料を展示・公開している。

深くもう一度・・・光秀を巡る熟練武者コース
①篠村八幡宮
本能寺の変に向けて丹波亀山城を出発した約1万5000人の明智軍が集結し、戦勝祈願をしたとされている。また、この地は室町幕府初代将軍の足利尊氏が鎌倉幕府討幕のため挙兵した場所とされている。

②明智の戻り岩
羽柴秀吉の援軍のために出陣した明智光秀がここから引き返して織田信長を討つために本能寺へ向かった説もあるが、笑路城を攻める際、この大岩に行く手をさえぎられ引き返したことから、明智の戻り岩と呼ばれるようになったと伝えられている。

③山本城跡
宇野豊後守秀清の位碑が祀られている。明智光秀が信長に謀反を企てた時、秀清は光秀に助力を求められたが、逆に光秀を攻めたため、その後、暗殺されたとされている。

④笑路城跡
明智光秀が丹波攻略の際、長沢氏の居城とされる笑炉城を度々攻めたが、非常に堅固な城であったという。

丹波攻略への道を巡る・・・戦勝祈願コース
①丹波国分寺跡
天正6年4月、丹波長秀が織田信長の命をうけ、明智光秀と協力して荒木氏を攻めた際、伽藍が焼失したとも伝わる。塔跡の磁石に残る矢穴は、明智光秀の亀山城築城のものとする説もある。

②御影山城跡
明智軍の進攻に際し、国衆が防戦したとされ、現在も曲輪や掘切が残在している。御影山に位置し、この山を御神体都する出雲大神宮は縁結びで有名。

③丸岡城跡
元は福井因幡守貞政の居城だったが、明智光秀が福井氏を破った後から丹波亀山城が築城されるまでは、丹波地域随一の軍事拠点であった。

④岩城神社
永禄2年に明智光秀が内藤氏の居城である八木城へ攻める際、ここで戦勝祈願をしたとされている。

丹波戦略への道を巡る 山城進攻コース
①神藏寺
鎌倉時代には28棟もの僧坊を有する大寺であったが、天正3年に明智光秀の兵火によって焼失したと伝わる。このとき本尊と両菩薩をつつんで山の奥へ隠したと伝わる。源頼政ゆかりの寺でもある。

②千手寺砦跡(千手寺)
八木城を拠点とする内藤氏との戦で、明智光秀がここを拠点としたと言われ、天正7年6月に兵火にあって寺院の大半が破損したと伝わる。境内の上には砦跡があるとされる。

③八木城跡
丹波国三大城の一つ。当初は、守護代内藤氏の丹波国の臨時的拠点であったが、その後、明智光秀が入り、内藤氏・宇津氏討伐の拠点としたとされる。

④神尾山城跡
神尾山城は、大永年間に柳本賢治や波多野氏が籠城していたが、その後、明智光秀が天正年間に多紀郡八上城攻めの中継地として「神尾山城」を使った。現在はハイキングコースでもある。

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